風姿訛伝
または凡庸な田舎絵師の肖像  第三部

古井みち子 作 (無断転載を禁じます) 

 寺の真新しい屋根瓦は銀色に輝いて目にも眩しかった。だが陽光はいよいよ勢いに溢れ、木立の葉は日焼けてうっとうしく、生ぬるい風が倦み腐れたように地面を這い、素足のくびすをなでた。
 寺社普請の職人達は、打ち続く暑気にはあらがえず、さしもの堂営大工も、自負と矜持(きょうじ)とをかなぐり捨てて、なり振りかまわず、だらしない格好で立ち働いていた。
 るいの花嫁行列が旅立ったのは、いつのことだろうか。浩司は年若いいとこの顔を思い出そうとしたが、うまくいかなかった。

 寺の裏手に古びた小屋があった。ずっと使われていなかったようで、傷んではいたが、そこは瓦葺き、並の長屋より余程ましだった。浩司はここに住むつもりでいた。所詮仮住まい雨露をしのげればそれでいい。食事の世話は寺でみてくれるから、いつでも仕事に入れる。
 寺の梵妻は御大家の出らしく気位ばかりが高く、絵師なぞ職人ふぜいと見下していたし、普請の人足達に対しても、荒くれ者は見たくもないと、出会っても顔をそむけた。浩司は、それはそれでいっそ気が楽だと気にも止めていなかった。こんな田舎に嫁入った奥方の鬱屈もわからぬではない。町場の華やかな暮らしを捨てて来てみれば、夫はいい加減で頼りにならぬし、村人はいつまでたっても、よそ者扱いを改めようとはしなかった。奥方の屈託が晴れることは当分なさそうだ。浩司に最初から『大黒』などという下品な呼び方は止めてくれと釘をさし、顔を見れば子供の手習いを見てくれの、書物の整理をしろのと、人使いが荒いことはなはだしい。新しい寺が完成し、落ち着いた暮らしになれば、奥方の機嫌もなおろうか。住職は生臭を地で行く道楽者で、食い物はまずまずなのが、せめてもの救いだった。

 浩司は絵にかかろうとしたが、一向に集中できない。暑さのせいにしても、去年まではこんなことはなかった。暑ければ暑いほど、勢い立ったものだ。
 寺は屋根こそ葺き終えてはいるが、まだ柱だけの小屋組みをさらしていた。あせることはない。一年がかりでこなせばいいのだ。が、すでに天井絵に使う桧の板が、うず堆く積み上げられていては、のんびりとしているわけにもいかない。砥の粉で目止(めど)めのすんだ板が、新しい物の臭いを放っていた。
 仕事が全く手につかない。仕方なく浩司は、もう一度寺の平面図、立面図を写し直して考えをまとめようと思ったのだが、筆を持っても気が乗らず、筆先の墨が乾きそうになり、はっとしてあわてて水入れに筆を落とした。
 何をしようとしても、落ち着かない。一年以上この小屋に住むわけだし、ことによるとそれ以上になるかも知れぬ。少しは人の栖らしくした方がいいと思い、模様替えに取り掛かった。まだ自分の部屋になっていないから落ち着かないようだ。いろいろ手を加えて、なじんでくればしっくりすると言い訳して、仕事は後回しにして、尻をからげて手ぬぐいを頭にまいた。
 小屋とはいえ広さは十分だ。間口が四間、奥行きが二間半程度か、独り者には十分すぎる。大工が奥半分に板を張り、床を上げて畳を入れてくれたので、一間とはいえ座敷のある立派な住まいになっていた。少し手を入れて自分の家らしくしようと、あれこれ考えた。
 土間を仕事場にしようとも思ったが、板絵とはいえ描いた物を汚すわけにはいかない。土間で生活をし、畳の部屋を仕事場にする事にした。土間の一部を、座敷より少し低く床板を付ければ、そこで十分寝起きできるし、ずっとでも暮らせる。
 これくらいの造作は自分でもできるだろうと浩司は、材木が積み上げられている本道脇の仮小屋へ行ってみた。材木は丁寧に筵(むしろ)で覆われている。近くにいた年若い大工に声をかけた。
「余った木はないかな。本当にどんな物でもいい。小屋を直してもらったが、も少し板張りを付けたくてね。なに、素人がやるんだから、切れっ端でいいんだ。」
「少し待て。棟梁にきいてくる」
 浩司は、子供のような見習いと思える大工のぞんざいな物言いに、むっとした。
 すぐに戻ってきた男は、別段悪びれた様子もなく同じ調子で続けた。
「いいとさ。おれにやれといってる。かまわないか」
「ああ、助かる」
「あ、俺正太てんだ。あんたは」
「浩司だ。よろしく」
「やっと研ぎと穴掘り大工を卒業したところだ。今までに貫(ぬき)穴、ほぞ穴一万二千とび七十八あけた。ちゃんとつけてあるのさ。穴あけはもう飽き飽きしてたところだから、よかったよ。
 あまり期待されても困るけど、あんたよりましだと思うよ。堂営大工は出職(でしょく)だから仮小屋に住むのものなのさ。棟梁や所帯持ちは家へ帰るけど、あとは材の番もあるから現場に泊まるんだ」
 浩司より五つ六つ歳下だろうか、正太という男はペラペラとよく喋る。まあ、おしゃべりの方が、少々うるさいのを我慢すれば、放っておけばいいので気は楽かと思い直した。 小屋に戻り、正太に改修図面を示した。
「これだけでいいのか。すぐに終わっちまうな。もっと注文はないのか。
 へへ、正直言うとさ、ここにいた方が楽みてえだから。。小頭がうるせいの何のて」
「私だって、うるさいぞ。そんなことではいい職人にはなれんな」
「いいさ、どうせ棟梁家は世襲と決まってるんだし、俺なんかいいとこ壼曲(つぼがね)師だ。棟梁家だってこのご時世で、寺の知行がなくなって廃業寸前だ。適当なところを見つけて寺の世話やき大工にでも納まれば御の字よ」
「いい若い者が、そんな料簡ではいけないな。一生懸命勉強すれば、棟梁の養子ってこともあるし、若いんだから何だってできるじゃないか」
「大きなお世話だい。謙遜して言ったんだよ。チョンナ使わしたら、小頭にだって負けねえ。毎夜練習してるんだ」
 そう啖呵を切り、両手に持った槍鉋(やりがんな)と手斧(ちょうな)を小器用にぐるぐると振り回し、えいや、とばかりに積んであった薪束目がけて投げつけ、見事にぐさりと突き刺した。練習しているのは、大工仕事ではなく、喧嘩の仕方や啖呵の切り方らしかった。若い者が、見かけや派手な事に目が行くのは仕方のないことだ。
「大事な道具を、そんなふうに扱うものじゃない」
「あんたも小頭と同じだな」
「だから言っただろう。私もうるさいと」
 浩司とて人のことを言えた義理ではないのだが、年少のものを見ると、急に分別くさい言葉が口をついて出るのが、自分でもおかしかった。これで浩司は正太の前では、俺などと言えなくなった。
 正太は上背は伸びきっているようだが、まだ筋肉は付いていず、ひょろっとしていて、そわそわ落ち着きがなく、おまけに無駄口ばかりたたく。ひょっとすると、暴れ者の持て余し小僧を、浩司が頼み事をしたのを幸いに、渡りに船とばかり厄介払いしたのかもしれなかった。
 浩司はともかくも、小屋に招き入れ意気がる正太を座らせた。座敷の上がり口に腰かけて、二人の間に図面を広げた。小屋といっても寺ではあるので瓦葺きの、焼けてしまった本堂と同じ造りで、壁もしっかりしている。畳を上げた床は、まだ敷居も上がり框も付いていないが、そんな物はどちらでもいい。
「俺にまかせてくれれば、もっとよくなる。なにしろ尾州桧を使えるんだから」
「じゃ、どうするか図面に書いてくれ」
「へへ、そりゃ駄目だね。江戸式規矩(きく)術を習うこたあ習ったが、大工は手板(ていた)を見るだけだ。
 へへ、そんな辛気くせい事、やっちゃいられねえ」
「その、へへはやめなさい。これからは図面の時代になるぞ。西洋から入ってきた製図術を習った方がいい。
 添軸(そえじく=溝引き)はできるか」
「だいたいは」
「私が知ってることは教えるよ。上へ行くには、いやな事も苦手な物もおぼえなきゃならん。やってるうちに、何とかなるものだ。好きな事だけやってすむわけでもないからな」
「ま一応やってみるけど、口で言った方が早ええよ。図面なんかなくたって、できるんだけどな。建具はあった方がいいだろう。古道具を見つけて手を入れれば、建具師みたいにはいかないけど何とかなるな。
 敷居と上がり框に、その下に踏み板を付けて、新しくする板の間は、座敷より一段下げた。上がり口のその踏み板と面一(つらいち)にすればいいな」
 正太は一人で口の中でぶつぶつと言いながら出て行った。
 浩司はしばらく仕事はできないだろうと思い、勧進元から渡された名簿をめくった。絵一枚一枚に大口寄進者の名前を入れなければならない。ややこしい字の名前には閉口する。隠れて見えなくなる場所だが、建物にはめ込む前に檀家衆に絵を披露する。少し字の練習もしなければならなかった。
 明日からでも正太が作業に入るだろうから、中を少しかたずけよう。

 ランプの炎と蚊遣りの煙が立ち込め、暑苦しいことこの上ない。寺は竹藪に囲まれて、ことのほか蚊が多く、蚊帳がないとどうにもならないが、不平を言っても仕方がなかった。
 浩司は夕食後の満腹の腹をかかえ、半分うつらうつらと、下絵の構想を練っていた。
 開け放った戸口から、三十がらみの大工の小頭が顔だけのぞいた。浩司は、ああと曖昧に言って招き入れた。
「一緒にちょっと、いかがですか」
 小頭は四合瓶をかざした。酒の入った緑色のガラス瓶がランプの炎で光った。うすうす察しはついた。正太のことであろう。
「ま、上がって下さい」
「いえ、ここで結構です。この方が楽だ」
 そう言って畳のへりに腰かけた。
 浩司は茶碗を引き寄せた。
「実は折り入ってお願いが、正太のことなんだけど、しばらく先生に預かってもらえまいかと思って。
 いや、いい奴なんですよ。それは私が保証します。本当は私が仕込まなくちゃならないんだが、仕事におわれて仕込んでる暇がなくってねえ。道営大工なんて、そう年中仕事があるわけじゃないんです。仕事がある時は忙しく仕込んでる暇はなし、仕事がない時は仕込みようがない。何年も仕事が入らない時もあるんですよ。だからあっちこっちの数寄屋を手伝ったり、野良仕事に出たりして食いつなぐ始末で。
 ここの造作をやっている間だけでも、面倒みてやっちゃあくれませんか」
「まあ、責任は持てんが、それでよかったらかまわないよ」
「ありがたい。昼間預かってもらえれば、それでいいんで。年期もあることだし、責任はこっちで持ちます。掛かりも遠慮なく言って下さい。
 いや、助かった」
 小頭は、ついに本音が出たようだった。
「そんなに厄介者にも見えないがな」
「いや、そんなわけじゃないんで。ただ私とはどうも馬が合わんと言うか。
 仕事もおぼえんわけじゃなし、根はいい奴なんです。もうこうなったら、洗いざらいぶちまけますが、どう扱っていいのかわからんのです。大抵の小僧はぶっとばされてるうちに、二・三年でおとなしくなる。たとい表面だけでもね。要領よく立ち回ってくれればいい、そのうちに段々分別のつく歳になっていくもんだ。
 だが、あいつはどうしたものか。いや特別厄介者って訳じゃないんで。棟梁のそのまた棟梁が、あいつのじいさんに恩があるらしく、うちで預かったんで。それで滅多な扱いもできねえし、なまじっか頭がいいだけに、どうしたらいいかわからんので。
 あいつの家は、元々大した家だったらしいんだが、ふた親とも死んでるから、思えばかわいそうな奴さね」
 小頭は話がかたずいてほっとしたのか、茶碗酒をぐいと呑み干し帰っていった。
 浩司は、とんだ安請け合いをしたかと、少し後悔もしたが、何か起こったら仕事を口実に逃げればいいのだし、責任はないんだから深刻に考えることもないと、明日からのことをぼんやりと思った。

 朝いきなり正太にゆり起こされた。
「先生、飯の用意ができました。今日からお世話になります」
「おいおい、仕事以外は今まで通りでいいんじゃないか」
「いえ、そういう訳にはいきません。小頭に言われました。先生のとこは大工とは違うんだから、言葉遣いも品良くしねえといけねえ、おっと、いけねえ。一からたたき込んでもらえと言われたから、そうすることにした」
 何か正太の言い方は、子供っぽく存外無邪気なものだなと、少し安心もした。が、若い者はいきなり変わったりするから、気は抜けない。今からそんな取り越し苦労をしても始まらぬ。
 寺の内装や建具の絵付けを手掛ける場合、大工と綿密な打ち合わせが必要だが、話がわかる者がいた方が何かと便利だし、正太でも使いっぱしりぐらいにはなる。
「しばらくは、あっちとこっちと行ったり来たりになりますが、飯は一緒に食います」
「やめてくれ、おまえと差し向かいか」
「いいじゃないですか。飯が残ったら、にぎり飯にして井戸に下げときますから、昼はそれを食います。夕飯は今まで通り、御住職の所でやっかいになります。そういう事に決まりました」
「手はよく洗ってくれよ」
「大丈夫です。お袋がずっと病気だったから、ちっちゃい時から俺が賄いしてました。
 慣れたもんです。本当は大工より、食い物屋に奉公に行った方がよかったくらいだ。
 俺は大工に向いてねえな」
「そんなことはない。じいさんも親父さんも立派な人物だったらしいじゃないか。まだまだこれから精進すれば、いくらでも出世できる」
「親は関係ねえさ。
 でも、お袋の家の方が大工としての格は上だな。お袋の所は代々、女大工だったんだよ。お城の奥の世話大工さ。もっとも大した仕事はなかったらしい。
 そんだもんで、尼寺から長屋から何でもしていたさ」
「それじゃ尚更、骨の髄まで大工の血が流れてるじゃないか」
「血筋なんて関係ねえよ。代々大工だからって、親がどうでも、子がそうなるってもんじゃない。先生、兄弟いるかい」
「ああ」
「だったらわかるだろう。同じ親から生まれても、まるっきり違うだろ」
「そりゃそうだが。どんなものでも、十年修業すれば、一人前になれる。好きも嫌いも、向き不向きもないさ。仕事ってえのはそういうもんだ。なまじ好きな道に入ると、よけい面倒なことにもなる。仕事は糊口をしのぐものだ。だから不向きだと思うぐらいで、丁度いいのさ。仕事なんて、そういうものだ」
 屁理屈をろうするところをみると、正太は馬鹿ではないようだが、小利口な奴が道を踏み外すと一番たちが悪い。しかし若いうちは、多少のことには目をつぶるしかあるまい。
 見たところ、そう根っからの乱暴者というわけでもなさそうだし、口数が多い分だけ有り余る生気を小出しに毒気抜きできるいうものだ。無口の男は信用できない。
 無口な者と一日中、顔付き合わせてはかなわない。正太はお調子者のようだから、かえって気が楽だ。
 正太にはまず、棟梁から預かった大きすぎる、寺の五十分の一の縮尺の手板(板図)を二百分の一に直すことから始めさせよう。いきなり板に墨が無理なら、最近入手した鉛筆で洋紙に書けばいい。赤と青の色鉛筆もあって便利だ。最初が肝心だから、新しくていい道具を与えれば、いっ時でも身を入れるというものだ。闇雲に押さえつけても反発するだけだし、子供が根気仕事にすぐ飽きるのは致し方ないことだ。当面、あの手この手で目先を変え、おとなしくさせておくよりほかない。
 浩司は自分が飽きっぽい方だから、その点は寛大だった。絵の師匠はうんと厳しかったような気もするし、案外甘やかされたような所もないではないし、よくわからない。
 弟子など取る気はなかったのに、ひょんなことから、妙な展開になったものだ。
 若い者は、まだ自分の言葉を持っていぬ。だから言っていることを聞いても、それでいいとも限らぬし、豹変もする。自分でも、しかとはわかっていない。有り余る力だけが、たぎっている。放っておくのが一番か。
 適当に気を抜いたり、時にしめたり、何とか自分の内に吹き荒れる嵐をなだめるすべをおぼえ、煩悶にのたうちまわりつつ、邪気を飼い慣らすしかないのだ。それには時間がかかる。時が経つのを待つ、これが最も子供には苦痛なのだった。

 寺の造営は大普請だ。手板の柱の番付けだけでも膨大だった。アラビア数字を使うのも、いいかもしれない。浩司は算術数字をおぼえている所だった。洋算に悪戦苦闘し、ローマ字も勉強中だから、正太に教える中身には事欠かない。規矩(きく)術も少しは知っている。もちろん知識だけなのだが、製図も多少は書ける。添軸(溝引き)というのは、箸を持つ要領で線を引く。古い筆の穂先を取って、ガラス玉の付いたマチ針をうめ込んで軸筆を作り、軸筆を手元に、墨の筆を向こう側にして箸を握るようにして、軸筆の頭を物差しの端に当てて、滑らせれば、真直のきれいな線が引ける。手先を加減すれば曲線も書ける。絵描きもこの技法を使ったりもする。浩司は、この引き筆がそう上手わけではないが、自分でできなくとも、人のしている事を直してやることはでき、そして浩司よりみなうまくなったりするのだ。大工ならどうしても知っておかなくてはならない規矩術は、規矩準縄(きくじゅんじょう)といい建築の形と寸法を割り出す方法だ。規は円、矩は方形を、準は水平を、縄は垂直を表している。正太はまだ十五、六だろうから、何も知らなくても無理はない。鉛筆の削り方から教えなければならない。少しずつ丁寧に芯が折れないように先を尖らせるには細心の注意がいる。黒鉛の粉を焼き固めた芯はもろい。だが、こんな事はすぐに慣れて、いとも簡単にできるようになる種類のことだ。
 正太は若いというだけでなく、肉親を全て失っていて、天涯孤独の身の上であり、他人の厄介になるしか手だてなく、寄る辺なき孤児であり、そして悪たれ者だった。
 浩司も両親を失っていたが、独り身でも、兄もいるし後ろ盾もあるし、第一もう立派な大人だ。兄なぞいない方がいいと思っているのも事実だが、あんな兄でもいなくなったら、浩司の中で、占めている空間が、たとい憎悪や嫌忌で満たされていたとしても、両親が死んでから随分たつし、幼かったこともあってその時どうだったのか、いままでいた者がいなくなってしまった穴を、どううめたのか忘れてしまった。おぼえていたとしてもそれは、思い出す度に改竄(かいざん)された記憶に過ぎない。現在の正太の心の闇を、浩司がはかることはできなかった。同じ経験をしたから、人の気持ちがわかるというのもではない。人の気持ちは一瞬一瞬のものだ。闇から脱した瞬間に本当は、闇を忘れる。わかっているつもりでいるだけだ。人は経験したからわかると思い、それで安定でき、実際には経験したことを忘れていく。そうでなければ、辛くて生きていけぬし、前へ進むことはかなわぬ。
 浩司は、正太が何とかうまく生き延びてくれるように、何とかこの二、三年を適当にやり過ごしてくれるようにと願うばかりだった。
 正太は相変わらず暇さえあれば、薪に刃物を突き立て、こん畜生こん畜生と口の中へ言葉を飲み込み、刃物を抜き取ると、そこらにある物を足で蹴散らしていた。何がこん畜生なのか、それは単なる掛け声かも知れないし、そうやって何かをなだめているのかも知れなかった。浩司はどうせ燃やしてしまう薪だからと、黙って見ていた。
 正太は午前中に家の中で勉強したり、仕事の下準備をし、午後から家の大工仕事をするという。午前中の涼しいうちに、外で力仕事をした方がいいと思うのだが、どうも逆の考えらしい。勉強なんて新規臭いものは、先にすました方がいいという。いやな事はさっさとかたづけて、家の造作にかかりたい、暑い日中は何をしても暑いのだから同じだと言う。
 戸外作業の出職人は、冬は寒く夏は暑いのは当たり前かもしれない。ここは寺の裏手になり木陰で涼しく、ましな方だろう。
 いよいよ小屋の改修が始まる。正太が夜なべで書いたという図面はまずまずの出来だった。作業を見ても、なかなか器用だし、大きな造作より細かい仕事が案外むいているかもしれない。若い者は、自分のしたい事や、自分の資質を的確につかんでいるわけではない。自分が好きで向いていると思っていても、はたから見ると違っていたりするものだ。
 正太はやはり生まれついての大工であろう。大工仕事は嫌いだ、図面は苦手だというのも、若者特有の自虐的反語に違いない。

 竹藪が小屋の北と西を囲っている。あまり西日が当たることもなく、住んでみると中々いい家だ。これで、もう少し井戸がそばだと言うことはない。毎朝、大瓶に水を汲んでおいてくれるが、絵描きは水を使う仕事だから、すぐになくなってしまう。
 竹藪に入って、誰かが植えたのだろう、ほおずき、ぎほうし、かたばみと藪萱草(かんぞう)などを摘んで、手桶に放り込み、写生してみた。寺だから花鳥画に、薬草を使うのも趣向としてはいいだろう。藪の中の日陰の草は、肉厚でぼってりとし、朽ち葉の臭いがした。
 竹藪の中は夏の盛りでもひんやりと涼しい。真っ直ぐに伸びた竹に耳をつけると、空の上で風になぶられた枝葉が大きく揺れ、それが竹簡の空洞に反響し、ゴーゴーと唸りをあげて、耳の鼓膜から全身へと抜けるのだった。

 正太は一心不乱に手斧(ちょうな)をふるっていた。上がり框の下の踏み板用の長い材を、鉋(かんな)をかけずに、手斧目削りのなぐり仕上げにすると言っていた。寺の所有ではあるし、浩司は正太の好きにすればいいと思っている。
「お前が考えたのか、いろいろ試してみるのはいいことだ」
「いや、数寄屋にはよく使うよ。別に俺の発明じゃない。ただ床板にはあまり使わないと思うよ。でも当たりが柔らかく滑り止めにもなるし、凸凹しているからその分よく乾くしいいと思う。手がかかるから普通は飾り板に使うんだ。ここに使うのは俺の発案だ」
 正太は満足げに、手斧の削り跡を手の腹でなでた。
 浩司は後ろに、藪の竹の葉のざわめきをききながら檜のいい臭いを嗅ぎ、天井板の材を並べた。本材にすぐに入るわけにもいかないから、木っ端に下絵を描いてみた。板だとどうしても、絵絹や紙のようにはいかぬ。
 正太は昼間の作業中は集中していておとなしい。お喋りより、金槌の音の方が気にならない。仕事中は土間と座敷の間に、衝立(ついたて)を置いてから、気が散ることもなくなった。文机に向かうと、ちょうど南側の格子窓が目の前にくる。障子窓の内側の桟の陰に小指の先ほどの白い卵のようなものが付いていた。二つ並んでくっついている。大方蜻蛉かか何かの卵であろう。薄い膜ような殻は頼りなく、ぶよぶよと半分透けて、すでに孵化したようで中はうつろであった。
 結局正太はずっと浩司の所にいることになったようだ。今のところ寝る場所もないこととて、夜になると帰っていったが、床板さえ付けば、ここに寝泊まりする心づもりらしい。この頃は夕食も小屋まで運んできて、二人で一緒に摂ることになった。正太は食後もしばらくとどまって、話をしたがった。浩司にしても、いろいろ寺院建築について知ることができるのは有り難いが、毎夜となると閉口した。
 いつのまにか、小屋の東側に増築する手筈になっていた。浩司が最初に考えていたのとは全く違って、大掛かりな事になったものだ。本当は戸板を並べるだけでも良かったのに、あれよあれよという間に、浩司の与り知らぬ所で事が進むのは不本意であった。
 正太は『規矩準縄雛形』(すみかねひながた)『匠家矩術新書』(しょうかくじゅうしんしょ)の写本を板の上に広げ、首っ引きで縄張りから始めようとしていた。
「和尚が好きにしていいと言ったから、建て増しすることにした。といっても、庇を掛けるだけで、棟を上げるわけじゃないないから、潰れる心配はないよ。だけど一から、自分で勉強してみようと思ってな。明日、遣形(やりかた)設定をする」
「何だ、それは」
「家を建てる前に、外側に杭と水貫(みずぬき)の囲いみたいのを立てる。高さ、つまり水平の基準になる案内の杭なんだ。遣形の幅墨(はばずみ)に合わせて、その後の作業の全てが決まる」
「ああ、あれか」
「水盛(みずもり)器で、同じ高さの水平面を出すんだが、これが結構大変だ。一応全部、本式にやってみることにした」
「それはいい事だ。だが、できるのか」
「こんな小屋は簡単だ」
「寺の造営の方が大事な本業だろう」
「いや、家作(かさく)だって基礎は同じさ。それに、潰(つぶ)しがきかねえと食っていけねえから、何でもやってみるさ」
「神社の仕事は別なのか」
「まあ、両方できなくもないが、元々神仏習合で、寺にも社(やしろ)があるから。
 寺に抱えられた所は、昔は羽振りが良かったが、その分、今ではすっかり駄目になった。どこの組でも、得手不得手はあるからな。
 それに神社は小さいのが多いし、外側だけで中は何もないから、大工仕事はすぐに終わっちまう。でかい神社は、神明(しんめい)造り、春日造り、八幡造り、権現造りと約束事があって、手掛ける組は決まっているな」
「なかなか大変なんだな」
「絵描きはいいね。独りで勝手にできるから」
「そんなもんでもないさ。第一、一人でできる仕事は金にはならん」
「厠(かわや)も小屋も造ってやる。そうすりゃあ、ちゃんと住める」
「ずっとここに居ると決まったわけじゃないぞ」
「そん時はそん時さ。誰かに貸せばいい。和尚もそのつもりだろうよ」
「そうか、家は金をかけた分だけは残るから、気にする事はないか。自分の持ち家でもなし、私には関係ないということか」
「そういうこと」
 浩司は自分が考えている程には、誰も問題にもしていないということは知りつつも、このままでいい筈はないという気はし、この頃は仕事をすれば終わりという訳でもないだろうと思うことが多くなり、ふとこういう時に人は腰を落ち着けたくなるのだろうと納得しもするが、やはり日常的な緊密さの中で生きていくというのも息が詰まりそうだった。
 若い正太を見るにつけ、あまりの違いに戸惑い、もう私は若くないのだと合点するも、いやいやこれで終わりと決まったわけではないと、妙に浮き足立って、落ち着かない。
 夜、寝つけず布団の上でごろごろしている時、何の根拠もないのだが、この仕事が終わったらこれからが本当の勝負だ。と唐突に昂ぶる神経を押さえかねることもあった。正太より浩司の方が、より難しい歳にさしかかっているのかもしれない。

 正太は稽古のつもりで、一通り何でもしてみるつもりのようだ。夕餉の後、職人小屋に帰るまでの間、浩司の所に居座る習慣がすっかりでき上がっていた。
 正太は、あちらに帰っても、小頭が油がもったいないとすぐに明かりを消してしまうので何もできないから、ここにいるのだと言うのだが、燃やす物はいくらでもあったから、帰らぬ理由にはならない。おそらく正太は、仲間に勉強している所を見られたくないのであろう。
 夜はランプの燈一つでは心もとない。製図や大事な木割り計算や木取りはできない。
 夜すべき事は、風流韻事に、好事、博覧勉記に精を出すことだ。
 二人で洋算術を始めた。浩司は少し独習してみたのだが、挫折しかけていた。一人より二人の方が何とかなるだろうと、正太に水を向けてみたのだったが、正太は若い分だけのみ込みは早い。横に書く算用数字は便利というのはわかるが、浩司はなじめない。計算と記録が同時にできるのは、アラビア数字の位取り記数法しかないというのは、何となく納得するだが『ゼロ』という概念が、いま一つわからない。
 正太が言うには、ゼロは何もないと思うからわからないので、ゼロという物があると最初から考えればいいのだそうだが、何もないものがあるという、何やら禅問答のようだ。物が存在するのは自明のことだと思っていたが、ない物も存在しうるということか、別のとらえ方をすると別のものが見えてくるから不思議だ。位取り記数法というのは、取り敢えず算盤の数をそのまま横に洋数字で書けばいいということにしておいたが、それとは根本的に違うというのは何となくわかるし、そのうち慣れれば何とかなるだろうと楽観している。筆算は正太の方が速い。これからは算盤より筆算の時代になるというのは理屈ではわかっても、正太に先を越されると癪に障るが、浩司の本業は絵描きだから、余技の手慰みの数学の問題は解けなくてもかまわなかった。
 問題は絵だ。すべて板絵や障壁画なので、発色が心配だ。天井画は先々簡単に修繕もできぬから、膠の剥落のないよう細心の注意が必要だ。寺は外気に晒されたまま何百年も立っているかもしれない。百年先の信徒が見ると思うと、浩司はとっくに生きてはいまいが、徒(あだ)や疎かにはできぬ。
 浩司は、こんな大仕事を独りで引き受けたのは初めてのことなのだが、できるだけそれは忘れようとしていたが、寺がだんだん出来上がりその威容を誇る伽藍をまのあたりにすると、不安と重圧で萎えそうになっていた。
 正太は若く、怖いもの知らずでいい。
 浩司は正太に、家の造作は口で言わず、全てを、立面図平面図に起こし、細かい所は大縮尺にしてそれも図面に書けと言ってあるので、図面が山のようにたまっていた。狭い小屋をどうするつもりなのか、思いついた事を全てやってみようというのか、ひたすら図面を引いている。気のせいか、少し口数が少なくなったようだ。正太は添軸(そえじく)の使い方も上達した。浩司は添え軸はあまり上手くない。絵では正確な線を引く必要もそれほどなく、真っ直ぐな線がほしい時は刃物の背に墨をつけ、それを紙に押し、一遍に引いてしまう。それは誰でもしている事だから、ごまかしにはならないだろう。絵は正確なのがいいという訳でもないし、勢いがないとどうにもならない。だから、刀の峰でえいやっ、と片付けるのだった。

 正太は今朝早く出て行って、昼近くなって戻ってきた。大きな古い水瓶を横にしてごろごろ、両手で交互にころがしながら帰ってきた。一体どこからそうやって来たのだろう。遠くなら大八車を借りていくだろうから、近くなのだろう、それにしては時間がかかり過ぎた。大瓶の中程に鏨(たがね)を当て槌打ち、上下半分に断ち割って、下半分を、穴を掘ってある場所に埋めた。これで立派な厠になる。上半分はかまどにするという事だった。
 正太は鏝板(こていた)を左手に持って、セメントをこねていた。
「正太、それは何だ」
「モルタルてんだあ。石灰と粘土を焼いたセメント粉ってえ物に水と砂を入れて捏ねる。漆喰より見ばは悪いが、より頑丈で固まると元の岩みてえに堅くなる。左官も、これくらいならできる。便所はこれで上がりでえ」
 正太は夜になると少し言葉遣いが丁寧になったが、大工仕事をしているときは職人言葉に戻り、時々思い出したようにはっとして、言い直すのだった。
 正太は増築部に小部屋を付けた所を見ると、住み込むつもりらしい。本当に、寝起きだけできればいいと思っていたのが、立派な数寄屋普請になった。
 北側に庇を掛けて、土間続きにへっついが付く、水瓶の片割れだ。
 正太は近在の古道具屋を回って、使えそうな建具を集めていたのだ。
 左官仕事の真壁(しんかべ)作りも、堂に入ったものだ。柱の間に、壁芯にする間渡(まわた)し竹・木舞(こまい)竹を格子に組み上げ荒縄でしっかり結い上げる。この竹格子の上に壁土を塗るのだ。
 浩司は壁土に混ぜる藁寸莎(わらずさ)作りを手伝った。本当は藁を土に混ぜてから一年くらい寝かすのがいいというが、そんな贅沢を言っても始まらない。地面に押し切りを据えて、刃を上に上げて藁を挟み二寸程に、ざくざくと押し切り器の取っ手を上下させて、切り刻む。刃を下ろすと藁が切れて勢いよく四方八方へ飛び散るのが小気味良く、取ってから伝わるずんとした確かな感触に、思わず身震いした。勢いよくずんずん切っていると、ふと指を切ってしまうのではないかという恐怖と、指を自ら断ち切り、流れ出る鮮血に恍惚とする誘惑とが同時に去来し、ぶるっと身を震わせるのだ。

 正太は壁土のもっこを天秤棒で担いで、一歩ごとに、ほいほいとかけ声をかけて運んでいた。体を上下に伸縮させ、腰と膝を柔らかく使って上手く平衡をとり、もっこは上下はしても、左右にふれることはなかった。
 浩司がもっこを担ぐと、中身がみんな飛び出してしまう。
「ここらの大工は何でもできないと食っていけない。素人は家のことなら何でも大工に頼めばいいと思っているからな。俺は左官じゃない、屋根葺きじゃないと、暢気な事を言ってたら日干しになっちまう。大工だって、堂営も数寄屋も家作もないさ」
「絵描きだって同じだ。絵描きはもっと辛いよ。住むところはないと困るが、絵なんざあ、なくとも誰も困りはしないから」
 浩司はこの頃、正太のお喋りにつられて、我ながら愚痴っぽくなったと苦笑した。
 漆喰の上塗りの段になったら、浩司は西洋のフレスコ画という技法を試すことにしていた。色漆喰や、土蔵の壁を漆喰で盛り上げて浮き彫りのようにした鏝絵(こてえ)細工は昔からあったが、壁に絵の具で絵を描くということは最近知ったばかりだ。フレスコ画というのは、漆喰が生乾きのうちに絵を描くのだ。すると、石灰層の中に絵の具がしみ込んで乾き上がると漆喰の中に閉じ込められ、絵は何百年でもそのままもつのだそうな。書物にたった二,三行そういう技法があると書いてあるだけなのだが、漆喰が乾ききらないうちに素早く絵を描かなくてはならないのは確かだ。一日分ずつ壁を塗っては描き、塗っては描きするらしい。手直しがきかないのは日本画と同じだ。岩絵の具で描けるだろう。失敗しても誰に見せる訳でもないから、かまうものか。何百年ももつと言っても、こんな庵(いおり)が何百年も残る訳はないから、たとい無様な結果になっても知ったことかと、そらうそぶいていた。
 浩司は、やたらいろいろな事に手を出す。変わりつつある時代に対する不安からか、どっちつかずの境遇故か、いろいろ見聞きするにつけ、いよいよ焦りはつのる。郵便で雑誌や本を取り寄せると、新しい記事がいやでも目にはいる。
 東京に美術学校ができて、日本画科というのがあると知ると、今さら学校でもないが、独り取り残されてしまうように感じる。内村鑑三先生が『不敬事件』で教育勅語の「晨署」への拝礼を拒み、一高講師の職を追われたと聞けば、やはり学校なぞ、行くものではないと思い、時代が変貌する時に、子供でなくてつくづく良かったと胸を撫でおろす。
 面倒は御免だと思いつつも、徐々にややこしい世の中になって行きそうな気配はあり、だからと言って何をするわけでもないが、いっそ新聞も雑誌も見なければいいのだが、気になって止めることもできず、そうして右往左往し、また新しい本を注文し、更に苛立ちを募らせるのだった。
 正太は浩司の所へ来てからは、自分のしたいようにすればいい訳だから、表面上は落ち着いているように見えた。浩司は最初から、正太がそれほどの乱暴者だとも思っていないが、暴れた姿を見たことはなかったし、二人だけでいる今は暴れようはないし、本当の所今時の若い者の性根など、わからなかった。
 浩司が子供の頃は、徒弟に入って、四・五年は師匠に逆らうなどとは考えられぬ事で師匠の言う事は絶対であった。それから少し仕事もでき、物事もわかってくるようになると、まあ誰にでも多少は生意気心が出てくるものだが、同時にわずかながら分別もできて、何とかなるものだった。若い者の気持ちもわからぬではないが、それにしても今の子供は辛抱がなさすぎるとは感じていた。
 夜更けて、布団に入ると、竹藪の葉のざわつきがすぐ耳元にきこえる。寺には慣れている筈なのに、笹原に野宿しているような錯覚におそわれ、うら寂しさに寝つけない。
 が、夜のつれづれに思い直した。隠者の風雅を居ながらにして堪能できるのだ。浩司は、深山幽谷に庵をあんでも、独りでは到底生きて行けそうにないし、食っていく自信もない。手近に、隠遁の気分だけは味わえるから、満足することにした。
 あとは、これ以上正太に入り込まれぬようにすればいい、正太は益々この家で幅を利かすようになり、勝手に家の中を片付けたりして、いつの間にか主従転倒して、浩司の方が正太にいちいち訪ねないと、事が進まぬようになっている。置いた筈の所に絵筆がなかったり、棚にのせた神束が消えていたりする。
 正太が落ち着いてきた分、浩司が苛立つことが多くなっていた。

「ここにあった絵筆はどうした」
「下の新しく吊った棚に移しました」
 土間の方を、正太は顎でしゃくった。
「座敷にある絵の道具に、一切手を触れるな。
 手順が狂う」
 浩司は怒鳴りつけた。正太は、ふんという顔をして行ってしまった。
 まわりに一人いるだけで、これ程調子を乱されるとは思わなかった。衝立を置いて集中しようとするが、何分狭い小屋故、姿が見えなくとも、数軒先に人がいると思うと、浩司はその気配だけでも、仕事に没入できない。あせる程に肩に力が入り、首筋が張ってきて、思うようにいかぬ。他に多数いれば一緒くたに無視すればいいのだが、二人というのは何とも気詰まりなものだった。
 浩司は筆を置き、あーあと声に出して腕を大きく上げて伸びをし、そのまま畳の上に大の字になった。行き詰まると、いつもそうして大の字になる。すると人は寝所以外では横にならぬものだし、ごろりとするとしても場所は案外決まっているものだ。見える景色というのも決まっている。ところが少しでも違った場所で臥すと、少し視線が変わっただけで、全く違う風景が出現するのだ。だから浩司はあちこちで寝ころんでみる。天井を見上げ、ぐるりにあたりを見やるうち、新たな考えが浮かんでくるのだったが、今度ばかりはそうは行かなかった。逆にだらしなくくずおれた己の姿が、妙にありありと自覚されるばかりだった。
 仰向けになったまま頭を少し持ち上げると、足先が見えた。結局自分で見ることができるのは胸から下だけなのだ。足の指を動かしてみる。自分の姿は見ることができない。他人の肖像画は描けても、自画像は描けない。鏡を見ても、それは虚像に過ぎぬ。
 西洋の画人は、何枚も何枚も自画像を描くという。描けぬからこそ、執拗に描こうとするのだろうか。画家は描く場所さえあれば、下書きや練習に、いつでも人の顔を描くものだった。本画でもべた塗りで隠れてしまう場合はやはり、ちょっと人の顔を描く練習をしてしまう。それほど肖像というものは難しい。本当に人の顔というのは、わからない。
 浩司は気持ちを奮い立たせようとしたが、昂ぶらず、煩悶として目を閉じた。すると風景が消えたのではなく、逆に風景の中から自分の体だけがすっぽりと抜け落ちてしまったような感覚に襲われた。
 突然矢も楯もたまらず、がばと起き上がり、外へ駆け出していった。
 浩司は走った。浩司が走ると風景も疾走し、木立はどんどん後ろに下がり、竹林を追い抜き、地面の小石を蹴散らし、土を跳ね上げる。
 空が回る。じきに息切れして、浩司はなまった体を寺の裏手でへたり込んで休めた。
 普請現場を見上げると本堂のぐるりに作業用の足場が、碁盤目のように規則正しく組み上げられて、その一つ一つの矩形がくっきりと浮かび上がって、目に跳び込んできた。迷わず立ち上がり、足場を登り始めた。細丸太に足を掛けると、樹皮がはがれている所はつるつる滑り、皮がついているところはぶくぶくと危うい。
 浩司は登り始めて、ふと気付くと登った段数をかぞえていた。そして、九まで来てはたと考えた。十まで登って隣の升目に移ろうとしていたのだが、それは違う、九で隣に移るのか。いや一から数え始めたからいけないのだ、ゼロからから始めればまだここは八だ。上が十で実は九だ。改めて数え直し、そうしているうちに、何が何だかわからなくなってしまったが、一段登って隣の足場に移ってから、十だとうなずいた。
 足場は徐々に高さを増し、木立のてっぺんがのぞけるようになった。足元が心もとなく不安で、履物が邪魔になり、草履を下へ脱ぎ落とした。下をのぞくと片方の草履は、妙にゆっくりと間抜けたように落ちて、下の地面でぺたと音がした。もう片一方は、腕をしっかり支えて力んで、少し勢いをつけて後ろへはね飛ばした。とんだ草履はくるくる舞い木の上にのってから、枝伝いに引っ掛かりながら、ぽとりと地面に着いた。
 とうとう、足場の頂上近くまで来た。いよいよ屋根瓦に取りついた。
 四つん這いになり屋根を登る。足の裏でひんやりとざらついた瓦の感触を確かめた。
 上まで登り切り腹這いになったままで、向こう側をのぞく。裏の北側から来たものだから、急に明るく日に照らされて目が眩み、危うく足を踏み外すところだった。良く目にする事だが、登るだけ登っても、本当は降りる方が難しい。それもちらっと頭をかすめたが、今はそんなことは考える暇もない。
 浩司は、よいしょと声に出して、棟瓦にまたがった。
 棟瓦が一直線に伸び、両端に厳めしい鬼瓦が据わっている。神社では忌み詞から、寺のことを瓦葺きと言うそうだが、なるほどこの大屋根の重量感は何をも圧倒していた。
 左右上下に整然と並んだ瓦が描き出す真っ直ぐな線が続き、瓦は屋根全体を一体になって覆っていながら、一枚一枚の瓦はしかとそれとして存在している。
 浩司は規則正しく鱗のように光り輝く甍(いらか)を凝視した。やねは一枚ずつ銀色の波のようにこちらへうねってくる。馬乗りになった棟瓦を押さえる手に力が入る。
 その銀色の鱗のうねりは、瓦から浩司の手に伝わり、腕をはい登って、首を走り抜け、脳髄をかき混ぜた。浩司の目には波うつ瓦が押し寄せ、頭の中では銀鱗が順番に一つ一つ飛び跳ねて光り出し、目の前でちかちか点滅し、うねりは全身を貫いた。
 無数の瓦と無数の鱗は、無数の中から名付けられた数として、一つ一つにわかに独立した存在となって立ち現れた。しかも固有の数を与えられていながら、無限だった。頭の中を数字がかけめぐり、数を唱和する声が響いた。目まぐるしい混乱の中で、アラビア数字が無秩序に飛び交い、閃光が火花を散らした。
 それから、次第に明滅の速度は緩まり、吹き荒れた嵐が治まるように、頭の中がきれいに澄みわたってくるのが実感できた。数字と瓦と鱗は、どこまでも幾重にも重なって降り積もり、位取り数字のように無限に続いていった。それは最早数字でするなく、細い蜘蛛の糸の網目のように規則正しく透明な有機体のようでもあり、冷たく鋭い金属のようでもあり、ガラス質の脆い光の集合組織のようでもあった。
 しばらくして、すうっと波は引き、青い空が広がって、堅固な瓦屋根がしっかりと体を支えていた。随分長い時間が経ったような気もするし、一瞬の眩暈だったようにも思えた。
 数というのは具体的な物を指すのではなく、抽象だということが、当たり前のように納得できた。ずっと前からわかり知っていたみたいに自明な事になっていた。
 今は、万物が空気のごとく自然に存在していた。
 浩司の目の下に広がる竹藪のざわめきは、一つ一つの葉であり、竹の群れであった。石段を囲む松林は風景であり、松葉は一本の針だった。
 浩司は登ってきた通りの腹這いの姿勢になって、屋根を降りた。おずおずと、守宮(やもり)さながらにずりさがって、ようやく地上に戻った。
 数日間、憑かれたように、算額の写しや洋算術書の問題を解くのに没頭していた。

第4部につづく

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