風姿訛伝
または凡庸な田舎絵師の肖像  第四部

古井みち子 作 (無断転載を禁じます) 

 飯炊きの女達が立ち話をしているのを漏れ聞いた。るいが胸を悪くして、婚家から帰されたという。嫁に行ってから、一年くらいのものだし、若いのだから、進行している訳でもなかろうし、のんびり実家で養生すればじき良くなるだろうと、大して心配もしていなかったのだが、一度は見舞いに行かずばなるまいと思っていたが、あれやこれやと雑事にかまけて、つい先送りになっていた。
 何町も離れていないところでも、一度足が遠のくと、ついつい億劫になって行かずじまいだった。本家の方向の先に用がある時でも、家の前を通れば挨拶に寄らぬ訳にはいかないので、わざわざ別の道を選んで遠回りした。
 見舞いの品を何にしようか思案したが、要る物は揃っているだろうし、なくて困っているという事もないだろう。帳面と色鉛筆をきれいに削って紙箱に入れて、持って行くことにした。
 浩司は裏から行こうかと少し迷ったが、目的のある訪問なので、表玄関から入った。女中の峰が出てきたが、来意を告げても、こっくりとうなずくだけで、口をきかぬ。
「病人はどこかな。御当主は」
 浩司はいらいらして、大声を出した。峰はびっくりしたように目を見開き、おどおどとそれでも不服そうに口をとがらせた。
「あっちです」
 峰は別棟の方を指差した。
 浩司が画室として使っていた離れ座敷を、病室にあてているらしい。家人は留守のようで、かえってほっとした。
 庭からまわってもいいのだが、一応正式な見舞客して、玄関に履物を脱ぎ、案内を求めて峰をせき立てた。
 峰は離れへ通じる廊下の前でぴたりと止まり、最前とは打って変わって、大声で「お客さんです」と叫んだ。
 峰の後ろについて行った浩司は、頑とした態度に半ば呆れた。ここから先は一歩たりとも行く気はないと、峰の背中は語っている。
 病気は怖い、伝染したらいやだと言っても、世話になった主人の看病をしないどころか、一日だってこんな所にはいたくないという態度がありありと見えた。他に行く所がないから仕方なくいるのだと言わんばかりに、ふて腐った顔をしている。峰はただのおっとりぼんやりだと思っていたが、とんだ間違いだった。
 離れの障子が開いて、茂が丸い顔をのぞかせた。浩司は峰を押し退けて、廊下を進んだ。離れの障子を勢いよく開け、部屋の中に目を移した途端に、さっきまでの峰に対する非難や立腹は一気に萎えた。
 るいは茂に助けられて、そろそろと上半身を起こして、寝間着の上に羽織を肩から掛けて、衿を前にかき合わせた。るいは以前に比べて、顔も体も二まわり程痩せて小さくなっていた。
 浩司は障子に手をかけたまま、立ちつくしていた。
「障子を、もちょっと閉めて下さいな」
 茂の声に促され、浩司は意を決して部屋に入ったが、それ以上どうしても足が前へ進まず、その場に座り込んで、後ろ手で障子を少し引いた。
「もっと早くに見舞いに来ようと思ったのだが、仕事に追われてつい。それにな、若い女が寝ている所へ行ってもいいものかどうか迷っているうちに、失礼した・・・」
 浩司は口ごもりしきりと唇をなめ、るいの顔を盗み見た。
 るいの肌は青白く濁り、それでいて頬だけが不自然に赤味を帯び、素人目にも重病と知れた。
 しかし肺病だからといってすぐうつるわけでもないし、誰でもなるわけではないし、浩司は生来丈夫だけが取り柄だったと思い直して、膝をにじって前へ進み出ようとした。
 するとるいが、か細いが病人とは思えぬきっぱりとした口調で、浩司の動揺を見透かすように言った。
「うつるといけないから、近づかない方がいいわ」
 そう言われたのを幸いに浩司は、一間二間近くても遠くても変わりはなかろうとはわかっていても、それ以上は前へ出ない。全くもって情けなくも浅ましい。浩司の膝は、それ自体意志を持ったように、その場に張り付いて動かない。
「若いんだから、すぐに良くなりますよ。私も女工に出て、肋膜(ろくまく)炎になったけど、治りましたよ。向こうの家で苦労したから、ゆっくり休めば治りますよ」
 茂が見かねて、言葉を出した。
「ああ、おぼえてる。昔の茂は、今の半分もなかったなあ」
「あら、いやですよ」
 軽口をたたいても、どうにもそれきり話はとぎれてしまう。
「無理して起きなくともかまわないから寝ていてくれ」
「そうしますか。いい時は外に出たりもしているのですがね。ほんとは少し動いた方がいいんですけどね」
 茂はるいを支えて寝かせ、掛け布団を引っ張った。
 掛け布団で覆うと、るいが寝ているのに全くふくらみが感じられない。人が中にいるとはとうてい思えず、ただすっぺりと布団がのっているだけのように、るいの体の存在感は希薄になっていた。
 想像以上に病気が進んでいるようにも思われ、持ってきた見舞いの品をどうしたものかと迷ったが、持ってきた物を引っ込める訳にもいかず、風呂敷包みをといた。
 何もする事がなく、ぶらぶらしているだけだろうからと、我ながら気が利くと悦に入っていたのだが、病人をまのあたりにして、迂闊さを思い知ったが、まあ仕方がない。
 茂が箱を受け取り、るいの枕元に置き蓋を開け、病人の方にかざした。
「まあ、きれいだこと」
 るいは浩司の方は見ず、箱だけを見ていた。
「六色もありますよ」
 浩司は、女二人が小声で話しているのを聞きながら、風呂敷をゆっくりたたんで、少しずつ膝を引き剥がすように後しざった。
 足の親指の腹が畳のへりに当たって、その後ろは障子となるまで、前を向いたままで、すみに移っていった。それから大袈裟な動作で風呂敷を懐に入れた。
「それじゃ、長居しても何だから・・・
 またくるよ」
「いいのよ、もう」
 るいの声が布団の中から聞こえてきたが、どういう意味か、浩司にはわからなかった。
 浩司は玄関で履物に足をかけながら、つくづく自分のとった態度を情けなく思ったが、久しぶりに会い、るいがあまりに変わっていたので少し驚いただけだ、何の準備もなく予想外のことに出くわせば、どうしていいかわからなくなるの当たり前だと言い訳しつつも、峰を非難できた義理ではないと痛感した。一方やはり峰の態度には腹が立った。
 立ち上がろうとした時、茂に呼び止められた。
「実は、浩司様にお願いがあります。御病人のことなんですが」
「ああ、何だね。だいぶ悪いようだな。少しびっくりした」
「実はね、そうでもないんです、病気は。
 本人が治そうって気がないんです。向こうの家で何があったかはわかりませんが、生きる気がないようなのです。本当はあれくらいだったら、少し動いて滋養のある物を食べた方がいいんですが、私の言う事なんか聞いてくれなくて、浩司様から言って下さいな」
 茂はしばらく愚痴をこぼし、気がすんだのか、頭を下げて浩司を見送った。

 浩司は帰る道々考えた。るいのことを考えても、いい知恵はうかばない。だが、あのままでは悪くなる一方だ。浩司にできることは、少しずつ病人になれることだけだった。近くにいるのだから、日常の中で係わっていくことだ。日々の生活を見ていくことだ。無理しなくてもいいから、少しずつ慣れよう。慣れれば何ということもない。結核患者なんて、どこにでもいる。医者が匙を投げた重病人でも、治ったという話はある。末期症状で誰もが諦め、本人も自暴自棄になり無茶をして、大怪我をし胸を打ち、その拍子に病巣が潰れ、それですっかり全快したという話を聞いたことがある。そんなうまい具合に治る事は、まあ、あるまいが、るいは病気自体はまだそれほど進んでいないのであれば、何とかなるだろう。
 浩司は秋霖の雨に閉じ込められて、腐っていた。
 俺はそんなに立派な人間じゃない。偉くもないし、臆病な卑怯者だ。何の大義大望も持っていない。だからこそ、些細な事で心が痛むし、良心が疼く。女々しい奴だと笑われるが、それはどうでもいい。
 結核をうつされたら、たまらない。病気は怖い。さりとて、知らん顔する意気地もなく、時々顔を出してごまかしている。だから、少し心苦しい。ほんの少し良心が痛む。
 今は、その分だけ、少し、ごく少しでも前へ進めればいいと思っている。
 闇雲に突っ走る程、若くはないし、危険を冒す気にもなれないし、陥穽にはまったら這い上がれる自信はない。いつまでも漫然と過ごしていることはできないのはわかっているが、仕事をする気にもなれず、床にごろりと手枕で、雨音を聞いていた。
 るいの見舞いに行かなくてはならない。毎日顔を出すだけでも、しようと思えばできるはずなのだが、長雨だからとか、先方も都合があるだろうとか、言い訳ばかりが頭をめぐり、ともかく、見舞いに行くにしても、行かないにしても、口実をつけないことには何とも落ちつかない。
 見舞いの品を何か考えて作ればいいと思いついて、背の低い枕屏風をこしらえることにした。昼間から家の中にこもっている病人だから、あまり暗くなってもいけない。余計に気がふさぎ重苦しくなっては困る。きれいで明るい物がいい。
 いつか耶蘇さんに聞いた、西洋には窓に色ガラスをはめ込んだステインドグラスというのがあるそうだ。ガラス絵もきれいな物だがそれとは違うらしい。色とりどりの色ガラスを組み合わせ鉛でつないで絵模様を造り出すのだ。耶蘇教会の正面の尖塔には大きな円形のステインドグラスがあり、薔薇窓と呼ばれ、教会内は七色の光が射し込んで花園のように光の影がゆれ、天国はかくばかりと思う美しさだそうな。そんな芸当はできっこないが、屏風のように暗くならないで、障子風に紙を張って透ける仕立てにすれば、目かくしにもなり、しかも小さい物だから桟はいらない。薄い紙を裏と表二枚はった太鼓張りにしてもいい。
 さっそく、木枠を正太に作らせよう。二つ折りの簡単な物で、高さは二尺もあれば十分だ。
 問題はどうしたら、光が当たった時だけ色ガラスのように透ける効果が出せるかだ。見た目にはそれとわからぬが、光が射し込んだ時だけ、透かし絵がくっきりと浮かび上がるようにしたい。
 浩司は、ああでもない、こうでもないと考えあぐねた。正太も仕事がうまくいかないのか、外でくそっという声が聞こえ、それからバシッと木枝の折れる音がしたり、何かを蹴飛ばす音が、がらがらとうるさい。
 誰にでも、どうにも気がおさまらない時はある物だ。八つ当たりは感心しないが、正太は当たる物を選んでいるようで、見境なく暴れている訳ではないから、ほっておくことにした。
 浩司は相変わらず、枕屏風のことを考えていた。ステインドグラスの虹色の妄想に憑かれている。色ガラスの陰が室内をたゆたい、水の底からわき上がる泡と共に、万華鏡の煌めきが目の裏をまわる。そんな物が果たしてできるだろうか。
 紙より絵絹の方がいいかも知れぬ。裏から描けば透けて見える。まずは雛型を作ってみる。生絹(すずし)の切れ端を小枠に張った。裏から描くといっても、ガラス絵なぞ手掛けたことはないから、思うようにならない。本来なら最後の仕上げに入れる筆を、一番初めに描かねばならず、そっくりひっくり返した。逆の手順になるのだ。今までに描いた絵を出してきて、いちいち見ながら一筆一筆確かめながら色を置く。ステインドグラスというは、小さい色ガラスを鉛の枠でつないで一枚の絵にするというから、ガラス絵描法でなく、同一平面上で強い墨線を使っていい訳だ。方法はいくらでもある。とはいえ、透ける効果を出すには貝絵の具ではまずいし、水絵の具だと絹はまずいし、何がいいのかわからなくなった。いっそ花をそのまま使っちまえばことは簡単なのだがとやけくそになった。と、そうかその手もあったかと独りごちた。
 押し花やそこらのきれいな物をはりつけた方が絵を描くよりよほど気が利いている。画布も絹より、寒冷紗のような麻布の方がいい。
 客の注文ではないから、こうでなくてはならぬという法はない。
 押し花を色がとばないように仕上げるのは、なかなか厄介だ。本草(ほんぞう)家に標本の作り方を聞いたことがある。素早く水分を取り除く工夫をしないと、全部茶色になってしまう。冬の乾燥した時期なら早いが、冬は花がない。
 急激に植物を脱水すれば、そのままの色が残る。熱をかけるのが手っ取り早いが、あまり高すぎてもいけないし、火熨斗(ひのし)や鏝(こて)の加減がむつかしい。押し花が駄目なら、薄紙に描いた絵を切り抜いてはってもいい。

 この一両日、また暑さがぶり返し、真夏とは違った耐え難さに襲われる。夕暮れ時になれば、再び勢いを得た蚊の群を追い払うために、木の皮や杉の葉を燻して煙を立てる。
 正太は煙にむせて、余計にいらついているようだ。
 浩司は、数年前正太と同じ時分(じぶん)の事を思い出そうとした。ついこの間のような気もするし、遙か昔のことのような気もする。
 一つ一つの事柄は、はっきりおぼえている。そのころのいちいちを、絵として、動きとして、鮮明に思い出せるのに、何か実感を伴わず、何を考えていたのか、今となってはわからない。子供の頃をおぼえている。というのは事柄をおぼえているだけだ。何を考え、どう感じていたのかは、本当は誰もわからない。
 ありありと思い出せるのは、情景だけだけだ。通過すると、経験した事だからわかると、誰もが思いこむだけなのだった。

 涼風が立つ頃には、小屋は大分格好がついて家らしい構えになってきた。正太は、もう前からここで寝泊まりしていた。
 その夜、正太はいつも通り寝ついたはずだったが、夜更けて布団の上に半身を起こして、ぎらついた眼を一点に凝視していた。しかし、その焦点には何もなく、見つめ続けていながら何も見ていない。恐ろしくも美しい形相の正太の横顔が月明かりの中にうかび上がった。ふと目覚めた浩司は、横になったまま薄目を開けて、その他人を盗み見た。すぐそこにいる正太が遙か遠くに行ってしまったような気がし、それは浩司が生きてきた長い時間が距離となった結果のようでもあり、浩司は息をのんだ。
 一度気付いてみるとそれからそういう事が何度かあった。
 育ち盛りの正太の体は、日々みしみしと音をたてて、成長していた。すべての変化は発熱を伴う。体の内からわき起こる血流は激情となって、外へ溢れ出る。
 浩司は従兄弟の圭介と遊び歩いていた頃を思い出そうとしていた。
 思い出すと決まって、恥ずかしくなる事共が生々しく蘇るが、一方ひどく曖昧な印象に遠のいてもいる。強烈な印象の出来事をおぼえていると、それで昔のことを全部おぼえてるつもりになっているだけか。大きな出来事が全てを含む訳ではないし、特別の出来事が意味あるのではなく、本当の意味、その心の在り処は、日々の繰り返しの中にあったのかもしれぬ。
 その夜、正太は闇の中を歩いていた。
 浩司は気になって、そろそろ彼をつけた。何が起こる訳でもなかろうが、正太を預かっている手前、少しは知っておかなければ具合の悪いこともある。どうせ一度目が覚めて寝つけそうにないし、夜風が心地良かったせいで、軽い気持ちでふらふらと歩き出した。
 雲間から月は時に冴え冴えと現れ、時に翳り、気まぐれに月影がゆれた。
 耶蘇(やそ)さんに聞いた話だが、日本では日輪は赤で月は黄と決まっているが、西洋では太陽が黄で月は白だという。日本画でも月を銀であらわすが、日は赤だ。日輪が黄色では御天道様という気がしない、などと与太事を考えていた。
 不意に先を行く正太が、ひたひたと走り出した。だんだん速度を上げる。
 浩司はあっという間の事で、足が前に出ずその場に身を潜めた。
 正太は走りざま、手にした鉈(なた)をえいっとばかりに投げつけた。そんな物を持ち出しているとは気付かなかった。
 草むらの闇から、ぎゃーという鳴き声がし、がさがさと笹藪の中へ逃げ去る音がした。
 月明かりのの中に、地面に半分食い込んだ鉈の刃が光り、その根元に毛の塊のような物が転がっていた。猫の尻尾か。
 毛に覆われた物体が、ひくひくと動いたように思ったのは気のせいか。
 正太は地面に突き立てられた刃物を抜き取り、尻尾を草履の足先で転がしながら弄んだ。顔に、にやりと薄笑いがうかぶ。
 それから急に手にした鉈を、めったやたらに振り回した。まわりの竹や小枝をばさばさと切り刻み、鉈の刃が竹に食い込むと、押し越した声で、くそっくそと口の中で唱えながら、いまいましそうに鉈を引き抜き、今度は細い篠竹に目を据え、それを片手で持った刃物ですっぱりと切った。斜めに切られた篠竹は少し横ずれして流れ、そこから真っ直ぐ地面に突き刺さるようにすとんと立った。わずかの間だが、小竹はそのまま垂直に立っていた。それから、ゆっくり倒れた。 
 正太は毎夜こんな事をしていたのか。
 眠れぬ夜は、体の内にこもる熱を持て余し、猛り狂うより他に身の処し方はないのだろうか。
 竹藪の中で独り刃物を振り回すだけなら、それもいい。獣の尻尾をきっても、それだけですめばいい。人を傷つけさえしなければ、それでいい。人を傷つけると後戻りできない。
 時がたち人は許してくれても、自分自身がすさむ。他人を損なうと、自分の体に目には見えなくとも、はっきりと傷が刻まれる。その傷は消えず。癒えることはない。
 廃刀令が出て久しいとはいえ、帯刀が禁止になっただけで、家々に刀はそのままあった。
 若者が日本刀を持ち出して、据え物斬りまねて大根や藁束を斬りまくり、暴れ回るのはよくあることだった。近頃はそこに軍刀まで加わり、軍隊がえりがいっぱしの風情でのし歩いていた。
 それはそれでいい。若い者はそんなものだ。
 浩司は荒れ狂う正太を葉陰からうかがっていた。急に重苦しいだるさを感じ、脱力感と疲労が押し寄せた。
 浩司と正太の間には、越えられぬ無限の距離の闇が広がっている。浩司には正太のような、情熱も苦しみも力も怒りもない。
 月明かりの中に、正太の薄笑いを浮かべた口元と、日常の道具とは思えぬ無意味なほどに鍛えられ、研ぎ澄まされた刃物のきらめきが残る。
 正太は無骨で厚みの鉈を、あかず研ぎ上げていた。
 粗朶(そだ)や薪割り、竹を裂くのに、それほどに鋭利に磨き上げる必要はない。大工道具よりその鉈を、正太は丹念に磨き込み、皮の鞘に収めたそれを、いつも決まって腰に下げていた。謂われのある大事な物なら、乱暴な使い方はすまい。正太があれ程、鉈に執着する理由はわからない。特別な品だろうか。いや、短刀や匕首(あいくち)ではない。ただの鉈に由緒も来歴も何もあるはずはなかった。
 正太は昼間、何事もなかったような顔で、腰の鉈で竹を割り、立てかけて干している。乾いた古竹があるといいんだがとか、囲炉裏の自在鈎(かぎ)の上にあるいぶされた竹が堅くて一番だとか、何のかんのと口の中で独り繰り返している。数寄屋風にするというから、外のくね垣に使うのか、部屋の中の天井にでも張るつもりか、ともかく仕事は滞りなく進んでいる。浩司は、正太の夜の独り歩きは、知らぬふりをすることにした。
 そのうち馴染みの女でもできれば、だんだん落ち着くものだ。そして一人前の男になる。そう願うしかなかった。

 浩司は久しぶりに本家を訪ねた。正式に訪問するのは面倒なので、御当主の留守をねらった。ふらりと立ち寄ったふりで、裏から屋敷に入り、離れをのぞいた。
 障子は真ん中だけにガラスを入れた建具に変わっていた。この前来た時と何か違うと思ったのは、そのせいだった。病人が寝たままでも外を見られるように、今風にガラスの入った障子にしたのだろう。世間体をおもんばかって、夏でも表の障子は立てたままだった。
 物陰からガラス越しに中をうかがうと、るいは布団の中でうつらうつらしているようだった。
 布団にすっぽりうずまり、体の厚みがまったくない。柔らかい布団の中に人間の肉体が存在しているとは思えぬ程、掛け布団は平らにすっぺりとしている。まるまるとはちきれそうだった若い体は今、完全に夜具の中にのみ込まれ、頼りない存在に成り果てている。掛け布団の明るいしなやかな光沢が、一層痛ましい。
 それから浩司は意を決して、勢いよく歩み寄り、障子を開けた。
 るいは傍らの羽織をたぐりながら、半身を布団の上に起こそうとしていた。
 浩司はあわてて、いいと片手で制した。
 るいは蒼白い顔の中に、微熱のために頬だけが妙に明るくぽっと上気して、余計に病状の深刻さが知れる。茂は大した事はないと言っているが、本当だろうか。
 しかし若い病人のバラ色の頬は、一つの救いだ。
「顔色いいじゃないか」
「誰か呼びましょうか」
「いい、ちょっと寄っただけだ」
 浩司は座敷には上がらず、立ったまま外から声をかけた。それから、開けた障子の敷居に腰かけると、もうあとは言うべきことも、なすべき事も何も見いだせない。
 空を降り仰ぎ、気詰まりな時間が流れ、庭石に目を移す。るいは静かに臥しているだけだった。すでにそうした見舞客の戸惑いや、ためらいには慣れてしまったのか。
 鹿爪らしく見舞いに来ても、るいの姿を見るや、しり込みして、慇懃な言葉とは裏腹に、早々と立ち去る者達を見過ぎたのだろうか。
 浩司とて、例外ではなかった。
 素人目にも、るいの本復は楽観できそうになく、茂のいうように結核の病勢は初期段階としても、気鬱病が重症ならば同じ事だ。
 こんな事なら嫁など行かず、暢気に売れ残りになった方がはるかにましだったろう。御当主も後悔しきりだと察するが、どう考えているかはわからない。わずかの結婚生活で病を得て無為に死んでいくだけだとしたらたまらない。
 嫁に行って、少しはいい事があったのだろうか。生家で飼い殺しに終わるより、わずかの間でも他家へ行った方が良かっただろうか。
 辛い事や厭な事があったとしても、何もないよりましだったろうか。
 浩司はどれくらい黙って座っていたろうか。が、次第に気まずさは薄れ、いつまでも黙って座っていてもいいと思っていた。
 るいは目を閉じている。まどろんでいるのか、目をつぶっているだけなのか。
 胸を病むと微熱が状態になり、それだけで体力を奪われ、高熱の時はふわふわと宙に浮いているような心持ちになったり、時に妙に晴れやかに昂ぶった気分になるものらしい。
 るいは目を閉じたまま、夢見心地に少し鼻にかかった声を発した。
「明るいうちはいいのよ。夕方になると体が浮き上がったみたいで頼りないの。目がちかちかしたり、いろんな音が聞こえてくる」
「どんな音だ」
「実際何かの音かもしれないし、本当に聞こえたのか確信が持てなくなるけれど、何か変だわ。他の人には黙っててね。心配するから」
「熱のせいだろう。そんな事は誰にでもよくある事だ。気にする程の事じゃない」
「でも、いろいろな幻が見えたりするの。いえ、幻じゃなくはっきり見える。
 瞬きをすると、いろいろに変わる」
「ああ、それは誰にもあることだ。特別の事じゃない。人間の視覚ってものは案外いい加減なもので、幻覚を見たりはよくあることさ。
 病気のせいだ。薬のせいだよ」
「そう、気が変になったのか、もう長くはないのかと、いろいろ考えてしまうの。何もできないから。寝ていると、悪いことばかり考える」
「あまり喋ると疲れるよ」
「そんな事言わないで、誰も話し相手になってくれないんだもの。病気がうつるのが怖い、浩ちゃん」
「いいや、あ、いや違う。やはり、そりゃ誰だって怖いよ。怖くないなんて奴は、よほどの馬鹿か嘘つきだ」
「そりゃそうね。当たり前だわ」
 この前来た時はなかったのに、布団のまわりの畳に、油紙が敷いてあった。
 血を吐いたのだろうか。喀血する時は、よくもこれ程と思うくらい、ごぼごぼと出るらしい。聞いた話で見たことはないが、見たくもなかった。
「病気は怖いが、何というかうまく言えんが、なるようになるだけだという気はする。同じ条件でも何ともない者もいるし、病気がうつる者もいる。病気になっても、治る者もいるし、駄目な者もいる。そこは誰にもわからないから考えても無駄だ。元来俺は人に対して、そう親密でも邪険でもないし、何なんだろう。
 要するに、いい加減な奴ってことだ。誰だって死にたくはないが、そう生に執着しても詮方ないとか、まあ、ちゃらんぽらんな男さ」
「ね、お寺の普請に来てる若い衆がいるでしょ、あれどんな子なの。コーちゃんの所にいるって言ってた」
「正太のことか、どうして正太のことを知ってるんだ」
「この頃よく来るの。どうしたら病気がうつるのかと、うるさく聞くの。ほかでも病人がいるって聞くと、あちこち行ってるらしい。
 この前、私の使っている茶碗をひったくって、水を飲んでしまった。
 何かあの子、死にたがっているみたい」
「何を考えているんだ。近頃の若いもんは」
 るいがめずらしく、にこっと笑った。
「コーちゃんが、そんな分別臭い言い方をするなんて、おかしい」
「俺も、もう若くはないさ。
 しかし、正太の奴、とんでもないな。よく叱っとくよ」
「それはやめて、あの子はいい子よ。私も同じぐらいの歳だから、何となくわかる。きっと何をどうしたらいいのか、わからないのよ。
 私も、独りで寝ていると、堂々巡りばかりで、わからなくなってくる。
 妙に冴え冴えしているようでもあり、おそらく病気にならなかったら、自分で婚家を飛び出していたかもしれない。別に辛いことばかりではなく、楽しい事もあったし、しばらくの間は無我夢中だったけれど、慣れてくると本当につまらなくて、同じ事の繰り返しで、気が狂いそうだった。だから病気になっても、あまり辛くない。
 あの子の気持ちは何となくわかる。どうしていいかわからない時、ふうっと死ぬっていう道も選べるなって、今まで考えたこともなかった事柄に、気がついてしまう時があるのよ。
 一度気がつくと、しばらくはその事ばかり考えてる。あの子は身寄りがないと言ってた。かわいそうで、いい子で、死にたがってるわ、あの子は」
 浩司は返答に窮して、黙り込んだ。
 正太が病人の所へ来ているとは知らなかった。そればかりか、近在の労咳の家を訪ね歩いているらしい。
 浩司も死にたいと思った頃があっただろうか。あったようにも思うし、半面、十五、六の頃は、今となっては遙か昔のでき事だった。
 浩司はるいと正太を見ていると、自分が年老いた、醜い老人に感じられた。
「正太が迷惑をかけるようだったら、言ってくれ」
「そんな事ないわ。あの子には黙っていてね。コーちゃんに知れた事がわかったら、今度は平気で大手を振って入り浸っても困るし、逆に来たいのに来られなくなってもかわいそうだ。来たくなければ、来なければいい。来たかったら、いつ来てもいいと思っている。
 私がコーちゃんに言わなければよかったんだけれど、何か喋っていないと、気が変になりそうだから」
「ああ、わかったよ。どうせ俺は、元々なりゆき任せだから心配いらないよ」
「そうだった。そうだった。それが一番ね」
 浩司がいる間、るいは咳き込む事もなかったし、声も存外明るく歯切れ良かった。病人は案外早くに良くなるという気がし、またそう思い込みたかった。少なくとも、そう重篤でなければ、その間は忘れていられる。
「長居したようだ。疲れさせてしまったな」
 浩司は立ち上がった。るいを見るのがためらわれ、前をを向いたまま、後ろ手で曖昧に手を振り、そろそろとその場を離れた。

 浩司は道々、正太のことを考えた。
 なぜ正太は病人の所へ行くのだろう。るいに限っていえば、若い女が臥せっている所をのぞき見たいという単なる好奇心ということもあろう。他家の不幸には誰でも興味をそそられる。しかし病人の茶碗から水を飲むというのはどういうことだろう。
 病臥する者から立ち込める、すえたような死の臭いに引き寄せられて、消えかかる命の最後の燈明を見届けたいと、ふと思うことは浩司にもあった。自分でも気付かぬ程のかすかな隙間に酷薄さを秘めている。
 残り少ない蝋燭の炎を、ふっと息を吹きかけ闇を招き寄せようとするように、あるいは断崖のふちに立っている者の背中をほんの少しポンと押してみたくなるように、誘惑は常に抗しがたく待ち受けている。
 時がたつと、それらはあまりにかすかな兆しに過ぎぬので、邪悪な誘惑との戯れなど、人は簡単に忘れる。
 そして人が死ぬと、心から悼み涙を流すことさえできる。人間なんていい加減なものだ。
 人の記憶もまた、あてにならない。
 浩司も十年前は、さんざっぱら悪さをしたはずだ。たまたま重大事を引き起こすような結果がなかっただけの事であり、それだけで、どうにもでも言い訳できるし正当化もできた。
 本当は、過去の事は誰にもわからない。浩司は、正太よりもっとひどかったかも知れぬ。運良く大した過ちを犯さなかっただけだ。人は結果しか記憶しない。結果が原因を捏造し、物語を紡ぐ。
 結果が良ければ全てうまくいったと思い込んで記憶を捨てていくのだが、少しでも現在が滞ると、過去に原因を求めるものなのだ。本当は現在の問題は現在が引き起こしているに決まっているのだが、現在を見つめ直すのは過酷な余り、過去に押しやるか、未来に先送りするか、どちらかを選ぶ。
 浩司は昔から淡々と生きてきたように思っているのだが、本当の所は浩司にもわからない。十年前は正太のように荒れ狂っていただろうか。そんな事はどうでもいいが、今の正太は問題だ。
 病人の水を飲むのは、健康な者の後ろめたさだろうか。埋め合わせだろうか。両方であっても、そうでなくても、感染すれば同じ事だ。
 危険な賭の甘美な誘惑は、どんな代償であがなっても余りあるとでも言うのか。
 浩司は、こんな事にはうんざりだと、考えるのを止め、野草を摘んだ。薊の花は押し花には向かない。鳥兜の紫碧の花を手折った。この毒草は華麗な罠を張りめぐらし、塊根に殺意をはらんでいる。だから美しい。猛毒と知りつつ思わずなめてみたくなる。浩司は烏頭根を指先で、そうっとなでた。

 正太は丸太を据えて、何かを彫っていた。何かはまだわからいないが、地面に筵をしき、その上に二尺以上もある丸太を立て、懸命に鑿(のみ)をふるっている。時折、尻当ての台を片手でずらしながら、丸太のまわりをぐるりと彫り込んでいる。いつもはノミを打つ合間に玄翁(げんのう)を小手先でくるりとまわしたりするのだが、それもない。
「何を彫ってるんだ」
「いや、ちょっとね」
 ちょっとね、というのは返事になっていない。言いたくないのか、それとも自分でも何になるのか決めかねているのかは、わからない。
「置物か」
「まあ、そんなところだ。鉈(なた)彫りならできると思ってね」
「鉈彫りってのは、鉈で彫るんじゃないのか」
「のみで彫るのに決まってんだろ。鉈で彫れるわきゃあねえ。これだから素人はいやになっちまう」
 一人前の口をきく正太に少しむっとして、それきり浩司は正太に背を向け、のみを打つ音だけを聞いていた。
 何を彫るにしろ、どの道ちょっとした思いつきだろう。それは浩司とて同じ事だったが、思いつきに得意顔で打ち込めるうちは、まだ若いということだ。浩司はこの頃、そうした思いつきが全く馬鹿らしく思えることがある。もちろん当座は有頂天になるのも事実だし、仕事を始めればのめり込んでしまうのだが、半面、自己満足に過ぎぬという思いもあり、どうでもいいような瑣末な事どもに心を砕いてそれが何になる、低俗で卑小ではないか。気の利いた思いつきや、工夫をこらしたしつらえが何になる。ひとたび、そういう思いが兆すと、いろいろ思いついてしまう自分がいやになり、細々としたものをたたき壊したくなる衝動にかられ、それがまた自己嫌悪の種になり、手にした筆を放り投げ、はっとして我に返った。苛立ちはつのるばかりだ。
 寺の内装は大物ばかりだ。そのせいかと思うが、元来浩司は大物が苦手であった。
 大物を手掛けなければ一人前ではない、とは師匠の口癖だった。小さいものは時間をかければ誰にでもできる。素人でもちょっと器用な者であれば小物ぐらいはこなせる、といやになる程いわれた。
 がらんとした大きな本堂をまかせられてみると、小手先の技術では到底、歯が立たない事は身にしみた。何かも一般の家とは、寸法が違う。天井は高く、床はどこまでも続き、大杉戸は、はるかむこうだ。浩司が得意とする緻密で繊細な絵は、それはそれで秘蔵し、独り楽しむには随分と重宝され、高くも売れたが、寺の本堂は今まで通りのやりかたは通用しそうにない。
 るいの為に作るはずだった屏風も反古にした。こんな小細工は邪魔になるだけだ。こんな物はしょせん見せかけだ。病人を気遣うふりをしないと居心地が悪く、気が咎めるからその為のちょっとした申し訳に過ぎない。こんな物は病人には迷惑だった。病人には上辺だけのいたわりでも、一時の慰めにはなるだろうし、それを決して否定するものではないが、本堂の長大な空間に身を置くと、それら日常の由無し事は途端に色褪せてくる。日々の瑣末事に心を砕き、快ちいい日を送る事は誰にとっても安楽な夢だろうが、いくら神は細部に宿るとはいえ、卑小なことに変わりはなかった。
 浩司は試し描きした絵を端に立て掛けては、離れて眺めた。五・六間の距離を置いただけで絵は、いかにも貧弱で華奢に見えてくる。大空間の広がりの中で、ひ弱な線は消えかかり絵自身が気後れでもしたように、薄っぺらに感じられた。
 細かい丁寧な仕上がりを心がけ、完璧な出来栄えにこそ、注文主は金を出すと信じてきた浩司だったが、これまで培ってきた自信と誇りは脆くも崩れ去り、ためすがめつながめても、絵は生彩を欠いたまま、沈黙していた。
 これでは正太の師にはなれぬ。正太でさえ、荒彫りを大胆にこなす。俺は元々、大した才も画芸もなかったのだろうかと、暗澹たる面持ちで、すごすごと本堂を後にした。
 遠くから見る大きな絵は、もっと太い線で描かなければ、その存在が消えてしまう。線を引いた意味がなくなり色もぼやけて、ちっぽけな紙切れに成り下がる。
 明快な対比と強い色と太い線を使わないと、ひどく見すぼらしく、うらびれて見える。
 本堂の大空間には、風雅だの侘びだ寂だは、通用しない。
 野暮なほどにきっぱりと描き分けなければ、少し離れただけでぼやける。強い色で描きなぐるような、そういう無粋な行為は、浩司には苦痛ですらある。だが、木に竹を接いだような不調和とも思える配色や、近くで見るとまるで未完成の描きかけに見えるような絵の方が、少し離れると不意に、色と色とが溶け合って、目には自然にうつる。
 絵は見る者が完成させるとでも言うのか。絵は見られて、はじめて完結するのか、それは絵師として屈辱的なことだ。
 微妙な色調や、味わい深い洗練よりも、粗野な描きかけの方が良く見えるのはどうしたことだろう。十数年間築き上げてきた画業がすべて、足元から瓦解しようとしていた。

 浩司は部屋のすみの道具箱をひっくり返し、太い筆代わりになる物をさがした。試みに、丸筆や面相筆をはじにかたづけ、水張り用の刷毛や、買い置いてあった蒔絵用彩(だみ)刷毛を取り出した。
 大きい花弁を塗るには、やはり当然のことではあったが、大きい筆先が要る。刷毛はべったりと大きい面を塗ることができる。いつか見た西洋から来た、平筆という物は、こういうときに使うのかと合点がいく。
 絵の具皿を手に取り、彩刷毛(だみばけ)にたっぷりと絵の具を含ませ皿のふちで穂先をしごき、えいやっとばかりに色を置いていく。
 時のたつのも忘れ、彩色にのめり込んでいく。幅広の刷毛は思いの外はかどり、下塗りの胡粉の白が、みるみる色で埋まっていく。とりあえず、刷毛の幅より細かい事を考えるのはよそう。
 刷毛の毛先に促されるまま、板の上にすうっと平らに色を塗り、大きく腕を動かすと、なにやら気まで大きくなってくる。
 なに、どうせ一介の田舎絵師、自分で考える程には、誰も絵など見てはいない。見る所いえば、金銀をちりばめているとか、派手できれいとか、その程度だ。気にすることはない。
 体が軽くなり、気持ちがいい程うまくいく。下の色に別の色を重ねても、刷毛の面だとぼかしを入れなくても、はっきり色が違っているのに不自然さはなく、一枚の花びらとしてくっきり映える。
 何とか行けそうだ。細かい事を気にしても無駄だ。思いきり勢いよく、太い線を引いた。
 細心の注意を払い、真っ直ぐ滑らかな線を引いても、遠くから見るとそうは見えない。
 一気にえいやと引いた太い線は、近くではひしゃげていたり、ふくらみ過ぎていたりするのが、遠く離れると滑らかに見えたりして、おもしろい。
 十年間の蓄積をすべて御破算にして、また最初からやり直さなければならなかったが、浩司には敗北感はなかった。
 駄目なら何度でも、やり直せばいい。
 そうさ、気張ることはない。虚勢を張ったところで見る者さえいないのだ。
 手に持った彩刷毛を空中にほおり上げ、落ちてくる所を浩司はすかさずつかみ、強く握りしめた。

 正太は外でずっと、ござの上に尻をつき、丸太に向かって丸のみの頭を木槌で打ちつけ、その音が規則正しく響いていた。なにを彫っているのかは、わからない。見られたくないのか、人の気配を感じると、ござを丸太にかぶして、作業を止めてしまう。見られたくないなら、強いてみることもない。浩司も仕事の途中を見られるのは好まない。また新しい技法に興がのりだしてからは、浩司はまわりの事に全く関心がなくかった。正太が何かを彫っているのは知っているが、さっぱり注意を払わなくなり、飯をかき込んで仕事をし、あとは寝るだけの毎日になっていた。
 描き上げた天井絵は、大分の量になっていた。棚にのせたり、あちこち立て掛けたりしても間に合わなくなり、ありったけの衝立や箱物を出して、それに立て掛けても、絵を置く場所がなくなってきた。絵を描くことも、寝ることもできなくなりそうだ。
 正太に言いつけて貫材を切ってもらい、二本の角材に布をまき、描いた二枚の板絵を中表に合わせ、貫材をはさんで隙間をつくり紐で止めることにした。こうすれば、中の絵が傷むことも、重ねてすれることもない。これで少しは片づいたが、絵は増える一方だった。絵を描く場所さえあれば、後は何も要らぬし、ほかの事はどうにでもできる。
 近頃は正太も、浩司が仕事の事以外目に入らなくなったのをわかったらしく、気楽にやっているようだ。あるいは、気負いが抜けて正太自身の集中力が増したのか、いらぬ隠し立てはしなくなった。のみの槌音からでもそれがわかる。
 丸太の高さは二尺以上もある。置物とはいえ単なる床飾りではなく、大きな物だ。
 あの材は何だろう。檜だろうが、檜より少し赤みがかってもいて、一位の木かもしれない。
 そんな事はどうでもいい。
 寺の本堂にはもう建具屋がもってきた大杉戸がきていた。家庭用の三×六(さぶろく)の戸ではなく、一枚四×七(ししち)もあろうかという大物だ。こんな物は小屋には入らぬから、本堂で仕事に入ることにした。板は紙や絹と違って白くない。表面も荒いし、細かい事を考えても無駄だった。また杉戸は天井板の檜より木肌がやわらかく、ぼそぼそしていて一層描きにくそうだった。何を描こうかと思っても、こんな大きい板絵など今までやったことがなく、一向に構想がまとまらない。
 昔、師匠のお供で帝都近くまで行ったことがあった。ここまで来たら日本橋まであと少しという所だったが、都合がつかずにやむなく諦めた。だが、その分あちこちの名刹は観ることができた。その折、象の板絵を見た。京都の寺にある絵を江戸の名のある絵師が写した物だった。その板絵の象図は、実際山犬くらいの大きさに描かれていたのだが、遠くから見ると離れれば離れる程、白い象はくっきりと大きくなって、目の前に迫ってくるのだ。
 浩司は本物の象など見たことはないが、牛の何倍もあるそうだから、余程大きいのだろう。仏像仏画の象は、どれも皆まちまちで、涅槃(ねはん)図の象は牛とそう違わないから、本当はよくわからない。いろいろいるのだろう。牛も大きいのから小さいのまでいろいろいるし、びっくりする程大きい赤牛を見たこともある。
 そうだ、まずは牛を描こう。牛だ、牛だ。
 思い切って胡粉の刷毛で板に描き始めた。
 大きい杉戸は、床に寝かせて置いた。大き過ぎて、下に置いた板を立ち上がって見ないと全体が目に入らない。やはり見下ろした方が全体像がつかみやすい。
 当たりだけは付けたが、下絵なしで描くのは、初めてだった。だが胡粉だから、失敗したとて掻き落とせばすむ事だ。
 牛だ。牛と象だ。象だ、象も描く。
 牛など、いやという程描いている。臆すことはない。
 牛は頭をぐいとそびやかし、天を仰ぐ。
 張り出した胸から、ぎゅっとしぼりくびれた腹と、りゅうとした足から二つに割れた硬い蹄までを一気に描き上げた。これで胡粉の下塗りは終わった。
 あっという間に終わったはずだったが、何日間も仕事を続けたような疲労感が襲い、板の間に座り込んだ。こんなに疲れたことは今までにない。疲労と満足感でへたり込んで、はたと考えた。板戸は今はまだ新しい。少し赤目がかっているといえ十分に白いが、杉板はすぐに茶色く変色する。茶色の牛は描けない。天竺の白い牛もいいが白は象と決めていた。いつか見た白い象は是非にも描かなくてはならぬ。
 どうしようか。金泥か、しかし金泥では色の変化をつけられないが、あの白い象だって胡粉だけで色の調子は出ていない。だのにあんなに生き生きとしていたではないか。白い象は黒い太い力強い線でふち取られ、体のしわの太い線は一本の過不足もなく、くっきりと表されていた。その素っ気ない程の大きい白い面が輝いていたではないか。しかし、白象と金の牛では今一つ納得できない。
 いい知恵も出ぬまま、牛は胡粉の白が勝ち過ぎるので、黄土をかけた。金はあしらいとしてはいいが、金ぴか一色というのは良くない。
 牛は何色なのだろう。何色でも、使える岩絵の具は辰砂(しんしゃ)の丹(に)か、緑青(ろくしょう)くらいだ。
 緑の牛もいいかも知れない。たらし込めば変化もでる。そうだ、牛の緑青でも悪いはずはない。
 かっと見開いた目、白い角、まわりの金旋毛と赤い口はくっきりと太い墨の線で囲まれ、たらし込まれた緑青の背中は面でどっしりと構成された。緑青の上からいやという程、金をふった。なかなかいい、思った以上だった。
 もう仕事も寝泊まりも、本堂のすみを使っていた。布団を運び込んで、まわりを筵で囲ってもらった。これで人目も寒さもしのげる。
 なかなか快適で、正太も独りの方が気兼ねなくいられるだろう。広い本堂で寝るのは、いい気分だ。広い寺の敷地の中で、狭苦しい小屋で二人しているこてゃない。
 夕暮れになると小屋に道具をしまいに行き、飯を正太と二人で取るが、ぼそぼそと二言三言言葉を交わすだけで、早々に本堂に引き取る毎日が続いた。寺にはちびた蝋燭が山ほどあるから明かりに不自由はしない。ランプのほやの世話する手間が省け、下絵を描いてみたり、独りになってからぐっと仕事がはかどり、夜もよく眠れる。
 これでは、とてもとても当分は、弟子も採れぬし、嫁ももらえまい。
 となれば、寺の仕事が終われば、もう村に浩司のいる場所はなくなる。身を固めないとどうにも済まぬ歳になっているらしい。先のことを考えておかねばならぬが、考えると気が滅入ってきて、そのまま寝てしまう。毎日がそんな事の繰り返しだった。何とかなるだろうと楽観するしかないのだ。
 るいは春までに、少しは良くなるだろうか。浩司が心配してもどうしようもない。
 正太は何を彫っているのだろう。それも浩司にはどうでもいい事なのだ。

 格天井の格子に板絵を、大工がはめ込み終わった。喜捨した者の名は、見えないように隠れる所に入れた。名が残るという事に意味があり、これで随分金が取れた。高い場所に上げるから高くていい。この考えは住職も気に入ってくれた。本堂から続く、西側の帳台(ちょうだい)構えまで入れると壮観だった。
 住職は後ろ手に両手を組んで、体を思いっきり反らして天井を見上げた。
「なかなか見事な物だな。御苦労。板戸の牛は立派だな」
 とは言ったが、杉戸絵には、あまり関心は示さなかった。
 浩司は杉戸の象と牛の絵には自信を持っていたが、花鳥の方ばかり皆の関心は向く。しかし別段失望はしていない。好き好きでいいのだし、理解されなくてもいい。寺は私宝ではない。檀家衆が大勢集まる所だ。
 寺は、浩司の趣味嗜好や技量や経験を越えた所で、この先もずっと存在し続けるだろう。浩司が確信を持って仕上げた仕事でも、たかが知れている。
 浩司は、幾ばくかの画料、多いに越したことはないが、対価と引き換えに絵をわたせばいい。それだけのことだと、今ははっきり言いきれる。それは諦念でも覚悟でもなくましてや商売上の処世でもなく、仕事をするということは、少しでも自分のできる事が増えていき、わずかでも領域が広がり、いささかでも世界が大きくなれば、それでいいのだ。一つの事に打ち込むのとは違う。仕事はそういうものではないという気がする。一つ事に専心しても力はつかない。自分の好きな事、自分のできる事、やりたい事、そんな物は誰でもやっている。そんな事に心をそそいでも新しい世界を開く力にはならない。
 人に理解されなくとも、絵を悪し様に酷評されようと、あるいは歯の浮くような言葉で褒めそやされようと、どう思われようとも、それは大した事でない。
 浩司は絵筆を手にした幸運を、確認しているだけだ。絵筆さえあれば、生きていける。いやそれもなくとも、棒っきれ一本で地べたをなぞっても投げ銭ぐらいもらえる。これを幸運と言わずして、何あろう。だか時として、本当にそれが幸運なのだろうかと反問する。一度腕に絵筆を握ってしまったなら、もう素手では生きていけないということだった。棒一本でもなければ、空手では羽をもがれた鳥同然だ。それが言い事か悪い事かはわからない。浩司はわかりたくもなかった。
 正太にしても同じことだろう。
 あいつはなかなかの技を持っている。才のない小僧なら必要な事を手順通りにたたき込めば事は足りるが、小頭がてこずるのも無理はない。だが、正太も今更、商家の手代になどなれるわけはない。手斧(ちょうな)なしでは、息もできるはずがないのだ。正太もそのうちわかるだろう。空手でいる時も、腕の先に見えない刃物を握っている事を。だから、そのうちに、刃物を振り回す必要などないという事がわかるだろう。いつも見えない道具をもっている。それが力だ。腕は見えない道具の先まで伸びているのだ。
 るいはどんな力を秘めているのだろう。
 病気は良くなるのだろうか。もしも、たった十数年という時間で一生を終わったとして、それをあがなう充足があっただろうか。別になくともかまわないし、無為に生きるというのも悪くはないが、浩司にはそういう生活の内実はわからない。何を考えているかはわかるし、どう生きようとしているかもわかるが、なぜそういう生き方ができるかがわからない。絵筆を握ってしまった浩司には、何も持たずに生きるという事が、どういうことなのか理解できない。
 今の正太は、数年前の浩司なのだろうか。俺の真似なんかしてもろくな事はないと思うし、また同じ道を歩んでほしくもあった。

 浩司は本堂をかたづけていた。すみに雑然と積み重ねられた絵の道具を小屋に戻そうとしていた。正太も手伝った。
 粗方終わった所で、まるめた筵の上に二人して並んで腰かけた。
「これから先、どうするつもりだ」
「うん、ここが終わったら、も一つ寺の修復が入ってるっていうから、やっぱり俺は、絵の方は駄目みてえだ。暖ったかくなる頃には小屋も上がる。まだまだ半人前だから、も少し大工修業をやるさ」
「そうか、それがいい。あのぼろ小屋が見違えるように立派な住まいになった。やはり、お前は大工が天職だ。
 俺もまだまだ弟子を採る身分じゃないらしい。修業が足らんな」
「それは違う。あのあれは象ってもんか、あれはいい」
「そうか、そう思うか」
「うん牛も立派だが、象の方がいい。
 あんな恰好しているかどうかは知らんねえが、本当のところ変な体つきだと思うんだ。何だかわからねえけど、形はいびつで歪んでいて、見てると居心地が悪いんだが、象が動いているように見える」
「そうか、そう言ってくれるのは、お前だけだ。その通り、あれは写生が狂ってる。
 ほら、見て見ろ」
 浩司は向こうの杉戸を指差した。
「だけど、どうしてもああいう形になるんだ。きれいに粉本の手本通りに描くと、ただそれだけの物だ。絵から遠ざかると、象はどんどん小さくなり、ただの絵の具を塗った板だ。
 それじゃだめだ。太い線だけで、線の表現だけで、奥行き、遠近、陰影を出さなければならない。象の体のしわの太い黒い線だけで全てを表すのだ。
 だから、ああなる」
「なんとなく、わかるよ。そうだ、動かなくちゃ、生きてなくちゃ、いけねえな。
 千手観音てあるだろう。あれ俺には手が四十本あるようには見えないんだ。二本の腕が動いているように見える」
「そう見えるか。そうだろうな、それが本当だ。どうしてか、わかるか。
 あれは腕が細長くなり過ぎたから、手が動き出したのだ。
 大事なのは正しく描く事じゃない。もちろん、それもなくてはならぬが。
 肝心なのは、どう見えたかだ。難しく言うと、省略と強調と変形というんだが、自分の目を信じろ」
「そうか、やっぱりそれでいいのか」
「そうだ。よく見ることだ。そしてそれをどうしたいのか、よく考えることだ」
「木彫りやってただろ。ちゃんとした物をこさえたかったんだけど、やり直すよ。一人前だって事が証明できるような物を作ろうと思ったんだが、それじゃ何か足りないとずっと思ってた。
 それが何かわかったような気がする。すっかり世話になっちまって」
「わかったか、そりゃよかった。何も世話したおぼえはないが、少しは役に立ったようだから、役目は果たせたか」
「とんでもねえ、いろいろ教えてもらって初めて良くわかった。
 これまでは、見様見真似でおぼえるだけで、親方もちゃんと教えちゃくれねえ。盗んでおぼえろと言うだけで、聞いてもうるせえと言うだけだ。ありゃあ、どう教えたらいいかわからねえだけだな」
「そんな事言うもんじゃない。ところで、何を彫ってるんだ」
「いやあ、大した物じゃない。こけし人形みたいなもんだ」
「それにしては、えらくでかいじゃないか」
「でけえこけしがあってもいいだろ」
「そりゃそうだ。基礎は大事だ、技術もなくては話にならん。だがもう、それは卒業したようだから、思い通りにしていいさ。何ができるかしらんが、自分の思った通りの物ができればそれでいいし、思い通りにいかなくても、それはそれでかまわない。技術というのはその為の保証さ、自分の思った物が作れない時の。だから職人てえのはな、思い通りにいかなくても、仕事ができるのだ、それで金をもらって一向にかまわんのだ。気にいらん仕事はこわすのが名人だなんて、嘘っぱちだ。そういうのは素人だよ。できの悪い昔の仕事に出くわす事もあるさ、だがそれに耐えなきゃならんのさ。これは愚痴かな」
「わかったよ。やってみるよ」
 丸めた筵の上に並んで腰掛けて話し込んでいると、その時間の分だけ尻が温まった。

 正太は伸び盛りだ。数か月でも半年の間でも、どんどん顔つきが大人びて、背丈も一段と伸びたようだ。心身共に日々成長していた。浩司はそのことに、改めて感慨を深くした。それに引き換え、浩司は半年前も一年前も大した代わり映えもなく愚図なことだと意気消沈し、思い直して、多少の成果はあったと思ったりもするが確信はない。
 このままずるずると年老い、衰えていくのだという思いが、ちらと頭をかすめ、身震いする。
 正太は浩司などいなくとも、何とかやっていくだろう。るいは浩司がいくら気を揉んだところで、致し方ないのだった。

 正太がのみを打つ木槌の音が響く。浩司はそれを見ないようにしている。だから、なにを彫っているのか、今もって知らない。でき上がるまで人に見られるのは厭なものだ。それを知っているから、見ないでいる。風呂場で裸をのぞかれるように、厠でうっかり閂(かんぬき)をかけ忘れ、戸を開けられてしまった時のようなばつの悪さがあり、目を合わせるのがためらわれるのだ。

 かたぶく夕日が頼りない影を落とし、あっという間に暗くなり、闇と共に冷気が上がってくる。もう仕事は粗方終えてはいるが、この冬の間は寺にいられる。落慶法要は春過ぎになるはずだ。
 四月八日の灌仏会(かんぶつえ)の前後に、何か大本山の監査のようなものがあるらしく、宗門内部の手続きが終わるまでは、食いつなげる。おとなしくしていれば、冬の間は何とかなりそうだった。

 一と月ぶりぐらいだろうか、浩司は本家を訪ねた。御当主に会っても、娘の病を何と言って慰めたものかわからないので、いつも通りに裏からそっとまわって、離れの障子を薄く開ける。
 部屋の中の空気は、ひっそりと沈殿している。動くものは何もない。布団も病人も、もう家具のごとく、部屋の一部に成り果てていた。弱い日差しが揺らめいてはいるが、部屋の空気を乱すには至らず、障子紙に虚しい逆光が這うばかりだ。
 浩司は床の間に目をやって、息をのんだ。三尺ばかりのどっしりした彫像が据えてあった。粗彫りの曖昧な形にもかかわらず、顔や細部まで不思議とくっきり見える。やさしい面差しの中にも荒々しい強さがある。円空仏のような柔和さはないものの若々しい活力に溢れている。蓮台のようにも見えるが何の植物かはわからない。台座からのびた葉が像の木肌にからんで、植物と人物が溶け合い一体となり、草木の化身のようにも、花園の呪縛のようにも見える。木像の少女は生木その物であるにもかかわらず、透明に光に透け、草木や枝葉から樹液を吸い上げ、頬は薔薇色に輝き、緑色の体液が脈打っていた。白木の鑿彫(のみえり)の奥に囚われ人が住んでいた。仏像のようにも見えるが、仏像というには余りに、生々しく鮮麗であった。
 正太だ。正太の仕業に相違ない。浩司は内心、やりやがったなと、賞賛と喝采と羨望がいちどきに押し寄せた。
 床の間だけが光を放ち、埋没した部屋を明るく照らしている。木像の木肌はのみ跡の削り面が磨きをかけずとも、ぴかぴかに光って、正太の技の確かさを表していた。十六・七で完成された腕を持つことが、果たして幸せかどうかわからない。それは正太が背負うべきことだし、たといこの像一体でも、それだけで終わったとしても、十分価値はあった。また、ここまで出来るのだから、このままで終わるはずはない。どんなに技や才があろうと、いくらでも新しい課題はでてくるものだし、挑むべき対象は生まれてくるものだから、心配はいらぬ。どんどん時代は変わるし、後から後から未知の世界はやってくる。
 るいの病気も治らぬと決まった訳でもない。恐ろしい外科手術というのもあるそうだから、浩司はいい方に考えるより、どうしようもないのだ。
 病人に気付かれないうちに、立ち去ろう。名残の斜陽が背中を暖めた。浩司は祈るような指先で、そっと障子を閉めた。

(完)

先頭へ戻る